「猿」がつく地名のおはなし⑥(言い伝えのある地名:神田猿楽町)
こんにちは。二助企画です。
「猿」がつく地名のお話、まだまだ続きます!前回は、東京都渋谷区の「猿楽町」(さるがくちょう)や、かつて存在した葛飾区の「猿俣」(さるまた)、台東区浅草の「猿若町」(さるわかちょう)についてご紹介しました。
ところで、、ちょっとややこしいのですが、実は「猿楽町」という地名、渋谷区だけではなく、千代田区にもあるんです。そして、台東区浅草には、「猿若町」(さるわかちょう)の他に「猿屋町」(さるやちょう)という地名も。今回も引き続き、東京都にある「猿」がつく地名についてのご紹介です。
渋谷区の「猿楽町」は、『鎌倉時代に、源頼朝がこの地で猿楽を催し、その道具を埋めたから』という言い伝えがありました。一方、千代田区の猿楽町は、猿楽(さるがく:後の能楽)を行う観世太夫の一族が屋敷を構えていた事に由来します。
観世太夫(かんぜだゆう)は、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)の流れを受け継ぐ「観世座(かんぜざ)」の家元。観世座は、もともと、結崎座 (ゆうざきざ)と呼ばれていましたが、明治以降は観世流と呼ばれています。猿楽についても、いつか、コラムでふれていきたいと考えています!
ちなみに、千代田区の猿楽町の現在の正式名称は「神田猿楽町」(かんださるがくちょう)。もともとこの辺りは武家地だったのですが、町名は付けられていませんでした。正式に猿楽町という町名が誕生したのは、明治五年(1872年)のこと。
しばらくは「神田猿楽町」と呼ばれていましたが、その後、昭和44年(1969年)の住居表示の実施に伴い、「神田」が外れて「猿楽町」へ変更されました。しかし地域住民の運動により、平成30年(2018年)に「神田猿楽町」の名称が復活しています。
ところで、この神田猿楽町にかつてあった錦華小学校(現千代田区立お茶の水小学校)は、夏目漱石の母校。猿の名がつく地名というテーマからちょっと外れますが、夏目漱石と猿(申:さる)についてのトピックをご紹介します。
夏目漱石の本名は、夏目金之助(なつめきんのすけ)なのですが、この命名に、猿(申:さる)が影響を与えています。
夏目漱石が生まれたのは、1867年2月9日。庚申の日の申の刻(午後4時頃)でした。
庚申の日(かのえさるのひ)とは、日に割り当てられた干支が庚申にあたる日のことで、60日に一度巡ってきます。昔から申の日・申の刻に生まれた子どもは、よくいけば大変な出世をするが、悪ければ大泥棒になる恐れがあるとされていました。
これを防ぐには金偏のついた字を名前に冠せばよいとの言い伝えがあり、夏目漱石には、「金之助」という名がつけられたようです。近代文学史の文豪として、名を馳せた夏目漱石。「金」の文字を使った命名のおかげかもしれませんね。
ところで、十二支の申について、なぜ「猿」ではなく「申」という字を使うのか。こちらについても、改めて別のコラムで触れていきますね。
長くなりましたので、今回はここまで。次回は、冒頭で触れた、台東区浅草の「猿屋町」(さるやちょう)について、お話できればと思います。
二助企画は、日本の伝統芸能猿まわしのプロフェッショナル集団。
猿まわしやニホンザルのことについて、あらゆる領域から情報発信をしてまいります。
ブログは毎月2回、第1・3金曜日に公開予定。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう!
主な参考文献・サイト(順不同)
・日本の地名の意外な由来/日本博学倶楽部/PHP研究所
・続日本の地名‐動物地名をたずねて‐/谷川健一/岩波新書
千代田区ウェブサイト
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/sarugaku.html
文春オンライン>ご存知ですか?2月9日は夏目漱石の誕生日です
https://bunshun.jp/articles/-/1241
他